泉花凜の文字語り

Web小説家の文字語り置き場

毎日ぽむぽむ「好きなものの話」

好きなものの話

 

好きなものを話して、相手が乗ってくれたらそのまま楽しくおしゃべりできるけれど、何か含みのある言葉を言われたり、否定的な態度を示されると、それだけで会話をしたくなくなるし、しまいには会うのもよそうと考える自分の思考回路が面倒くさい。

 

でも、「この人こういうところがあるんだな」と思った瞬間に、いい気持ちがシュンとしぼんじゃって、目をつぶって大人な対応をすることができないから、結局人付き合いは一向に上手くならないままだ。

 

じゃあ人と会わずに話さずに一日家にこもって好きなものを見たり聞いたりするだけの毎日を送れるかというと、送れるのは送れるのだが、頭が真っ白になるような虚無感が時々無性に襲ってきて、やっぱり寂しいと思う自分がいる。

 

人と仲良くなるのは難しいなと、最近感じる。

好きなものを誰かと共有するのも。

 

私はSNSをやっていることを人には話していない。リア友とネットを切り離して考えたいからだ。

アカウントには特にバレて困るような発言は書いていない。ネットリテラシーはある方だと思う。

ネットは、今の時代みんなが触れている媒体だけれど、それでもある意味特殊な場所だなと思ってしまう。「こんなこと、実社会で発言したらアウトじゃないの?」といった言葉が匿名の秘匿性で簡単にばらまけてしまう。それで吉と出る結果だってあるけれど、SNSは現実とは隔絶された場所だという雰囲気を敏感に感じる。好きなものを好きと言って、それが賛同を得られれば、一方ではそれを嫌う人がいて、全人類みんなが好きなものは一つとしてないのだなという事実を知る。

 

せめて、相手が「これが好き」と発言したものを、頭ごなしに否定するのではなく、たとえ興味がなくとも「そうなんだね」と相槌を打てるぐらいの社交性は身につけたい。

それは人との関係をつなぐための、橋渡しのような存在にもなりえるから。

 

でも、私はとある一件で、自分の好きなものの話はしないようになってしまった。

「好き」の度合いが強いと、それを皮肉られた時に、発言した相手自身をもう好意的に見ることができなくなるからだ。視野が狭い自分が嫌になるが、自分の感性は正直者であまり取り繕うのが得意ではない。

 

好きなものを話す時は、相手がマウントや皮肉を言わない人であるという確証が持てる場合のみ。信頼に足る人物だと心から思えた時、私は自分のことをいろいろしゃべれるのだと思う。

 

好きなものの話をするのは、実はけっこう程度が難しいというテーマでした。

 

 

 

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