娯楽は今のこの世にたくさんある。あふれ返っている。
こんなに楽しいものが転がっているのに、なぜ本を選ぶの? と顔の見えない誰かが言っているように聞こえた。
お酒を必要としない人に、お酒の楽しさを語られても響かないのと同じように、読書をしない人に本のありがたみを教えても、馬の耳に念仏だろう。
お酒を飲まない(飲めない)ままでもじゅうぶん人生は楽しいし、本を読まないとどうなるかといえば別にどうもならない。自分としての人生が続くだけだ。
言ってしまえば、人はこれがないと生きていけないと思えるものは案外少なかったりする。
生死に関わってくる衣食住。せいぜいこれくらいだ。
にも関わらず、私たちは多くをほしがる。楽しいことが大好きで、世界にはどんな楽しいコンテンツがこれから生まれるのだろうと、どこかで期待している。これほど娯楽を必要としている生物は、人間だけだろう。
本を読む行為は、娯楽ともいえるけれど、少しばかり事情が違う。
知らない誰かの人生を、文字を追って追体験する行為。それが読書だと個人的に思う。
それは自己や相手への想像力を養うことにつながる。
ひいては世界や社会を見つめる力をつけるための手助けとなる。
自分がここにいる場所がすべてではない。世界は無限に広くて、人の価値観が多様にあり、一つとして同じ景色はない。それを最も手軽に味わえるのが、読書ではないだろうか。
私自身、読書によってたくさんの登場人物と関わってきた。彼らのフィルターを通して、作品世界、作者の自己世界を体験してきた。それは何物にも代えがたい、心の肥やしだ。
読書は、娯楽であり、人生の彩りである。
私にとって、本は、自分の人生の一助である。
まだ会ったことのない物語を求めて、これからも本を探し続けるだろう。その時間が、結局いちばん楽しいのだ。